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田島誕生日話。2005年オンリーで発行したペーパーから再録。

 練習の終わった部室は騒がしい。
 つい十数分前には精も根も尽き果てたとばかりにグラウンドにへたりこんでいたメンバーもいたというのに、何処にそんな体力が隠れていたのか、練習中の出来事から始まって、授業中の話、休み時間の話、と毎日、話題は尽きない。輪の中心で話をしているのは、田島に水谷あたりで、話題は途切れることなく展開していく。
 ましてや、今日はある意味、特別な日だ。田島の声はいつも以上に嬉々としているように聞こえる。
 部室の外まで聞こえてくる喧騒ぶりに花井は軽く顔を顰めた。
「花井?」
 前を歩いていた花井が急に立ち止まったのを栄口が訝しむ。
 すっかり日が落ちて暗くなるのが早くなったせいで、練習時間も夏に比べれば随分短くなった。だから、体力に余裕があるせいで、余計に元気が余っているのだ。田島も自分も皆全員。
 百枝に渡されたビニール袋が、中身とは裏腹にがさがさと耳障りな音を立てた。
「どうかした?」
「あ、いや……」
 花井の動きに合わせて、栄口同様、手にぶら下げた袋が鳴く。
 否定の言葉を紡いだと同時に、不意に苛立ちに襲われた。
 持ち手を握る指先にぎゅっと力が入る。
 ドア越しに聞こえてくる楽しそうな声が、やけに癇に触って仕方がなかった。
「花井」
 もう一度、名前を呼ばれて目を合わせると、栄口は苦笑しながら、ちょんちょんと自分の眉間を指差した。
「?」
「難しい顔して、どうしたのさ」
 皺寄ってるよ。
 鏡を見なくても、多分そうだろうと思っていたことをずばり指摘されて、花井は返す言葉に詰まる。何に対してこんなにも苛立っているのか、朧気ながらも分かっていることが苛立ちに拍車をかけた。
「別に」
 たいしたことじゃない。
 明らかに嘘です、と言わんばかりの口調に栄口は苦笑を深めたが、それ以上は追求してこなかった。
「そう」
 だったら、いいけどさ。
 大抵の場合、栄口はいいヤツだ。互いの領域を弁えているというか、ズケズケと立ち入ったりはしようとしない。
 田島が相手ではこうはいかない。
 と、そこまで考えてから、花井は弾かれたように頭を振る。脳裏をよぎった名前を振り払うように、ぶんぶんと二度、三度と勢いよく振った。
 花井?
 ドアノブに手をかけた栄口より先に室内の喧噪が二人を迎えた。



* * *



「マジでっ?」
 広いとは決して言えない部室に押さえきれない声が響きわたった。
 練習も終わり、すっかり日の暮れた窓の外。室内には正副キャプテンの三人と阿部と一緒なのだろう三橋以外の全員が揃って、めいめい好き勝手に制服に着替えていたが、巣山の声は全員の注目を集めるには十分過ぎた。
 顔に手を当てて天を仰ぐ水谷と、しまったと顔を顰めた巣山だったが、リアクションは違っても二人とも内心の想いは一緒だった。
「なにがー?」
 誰より早く田島が口を開く。それすらも予想通りで、二人は頭を抱えたくなった。
「あぁ、うん」
 歯切れの悪い水谷に向けられた田島の真っ直ぐな眼差し。他のメンバーも興味深げに三人を伺っている。
「た、たいしたことじゃないんだ」
 な、なあ。巣山。
 突然、矛先を向けられて、巣山はしどろもどろになりながら、ああ、と小さく頷いた。
「で、でかい声出して悪りぃ」
 田島の視線を避けるように、室内をぐるりと見回して、パンっと顔の前で両の掌を合わせる。軽く首を傾げつつ、まあいいかという風に、他のメンバーは自分たちの会話に戻っていく。ただ一人田島を残して。
 逸らされぬまま、じぃっと向けられた眼差しが、酷く居心地の悪さを感じさせる。
「……田島」
「何?」
 野生の勘とでもいうのだろうか。普段は人の話なんて聞いてるのかいないのか、全く気にしていない風なのに、こんなときばかり鋭いのは反則だと思う。
 はぁぁぁ、と観念したように水谷は大きな溜息を吐いた。
「クラスのやつから聞いただけの話だからな」
 諦めたように目を合わせた水谷をにししし、と締まりのない笑みが迎える。
「別にそれほど期待するような話じゃないぞ」
 何処となく渋い口調を作りつつも、すっかり開き直ったのか、何処か悪戯めいた色が瞳に浮かぶ。
「今日の昼休み」
 いつの間にか全員の視線が集まっていた。
「花井が」
 ごくり。
 勿体ぶった水谷の言い方に思わず緊張して唾を呑みこむ。
「告られてたらしい」
「えぇぇぇっ!」
「誰に」
 静寂は一瞬にして破棄される。
「知らない」
「なんだよ、それ」
 どうせなら、ちゃんと聞いとけって。
 恋バナが好きなのは何も女子に限ったことではない。口々に好き勝手に言い合う声を聞きながら、一人不機嫌そうに眉を寄せていた田島に、誰も気がついてはいなかった。



* * *



 建てつけが決して良いとは言い難い部室のドアを勢いよく押すと、騒がしかった室内が波を引くように静かになる。
「遅いー」
 振り返った水谷から真っ先に向けられた言葉に栄口は、悪い、と片手を顔の前に掲げる。
 残りの手は相変わらずビニール袋を提げたままで、二人揃って手にしているそれに、当然の如く、室内の視線が集まった。
「何、持ってんの?」
 全員の声を代弁するように田島が口を開く。
 その視線は栄口を通り越して、まだ位置的には部室の外に立っていた花井に向けられていたせいで、必然的に目があった。
 誰が何処から取ってきたのか、いつの間にか部室に鎮座していた教室用の椅子。
 その背を抱えるように逆向きに座った田島が、床に届いているはずの足を頼りなげに遊ばせて、花井を見ている。
 いつもと変わらない眼差し。
 豊かな表情筋の恩恵か、一見しただけでは、その幼さに隠れて気がつかないが、射るような視線は、大人のそれと遜色ない。
「っ…」
 無意識のうちに下唇を噛み締めていた。
「シガポからの差し入れだよ」
 そんな背後の気配には気がつかなかったのか、それとも気がついていても気にしていないのか、何事もなかったように栄口が答えた。
「マジ?」
「何、食いモン?」
 何気なく注がれていただけの視線が、明らかな物へと一瞬にして変わる。
 その反応は当然だろう。
 部活上がりの男子高校生、その胃袋は何か寄越せともう随分前から訴え続けていて、家に帰るまではとできるだけ気がつかない振りはしてみせても、意識も身体も正直だ。
「うん」
 全員の期待に満ちた眼差しに栄口は柔らかく笑う。
「今、モモカンと篠岡が、皿と切る物、持ってきてくれるから」
 部室の真ん中に置かれた机の上に袋の中身を並べていく。
 その手が離れるたびに、おぉと声にならない感嘆の声が漏れる。
 深い朱色が、照明の光に艶々と輝く。
「柿だー!」
 田島が嬉しそうに声を上げた。
「柿だけじゃないよ」
 ね、花井。
「あ、あぁ」
 栄口に促されて、漸く花井は部室の中に足を入れる。
 注視される視線は、別に今更のことで、いつもなら気にも留めないのに、何故だか今日は違っていた。一挙一動を食い入るように見つめてくる一対の瞳に急かされるように、鼓動が速まる。
「梨!」
 花井の手によってビニール袋から顔を覗かせた歪な球体。
「これもシガポから?」
 指先で表面を軽く突いてみたり、蛍光灯に掲げてみたり。意味のない行動を取る仲間を見ているうちに、漸く花井の胸中に余裕が生まれてくる。
「なんでも田舎から大量に送られてきたから、お裾分けだってさ」
 ラッキー。
 誰ともなく口にした言葉に花井も頷きながら、次々と梨を取り出していく。
「切るモンって、家庭科室に取りに行ったのか?」
「多分、そうだと思うけど」
 机の上の果実から視線は外さずに尋ねる水谷に、栄口が僅かに首を傾げてみせる。
 迎えに行った方がいいかな、とぼそりと口にした水谷だったが、別に平気でしょ、とあっさり流される。
 まるでお預けを食らった犬のようだと花井は内心で思ったが、態々口に出したりはしなかった。ただ、ひそりと口許を緩めて表情を崩す。
 とは言え、お預けを食らっているのは何も水谷一人ではなく、全員が同じ気持ちであることは疑いようもない。もし、此処に並んでいるのが、林檎だったら、皮ごと食べてしまっていたんじゃないか、と強ち否定しきれない予想に苦笑する。
 その時、部室に近づいてくるバタバタという足音が聞こえた。
 しかし、パッと顔を上げた水谷の視界に飛びこんできたのは百枝でも篠岡でもなく、三橋とその後ろに僅かに遅れて阿部の姿だった。
「お、お、遅くなって」
 ごめんなさい、という三橋の声が一瞬、静まり返った室内にポツリと落とされた。
「早く中入れって」
 後ろに立っていた阿部の言葉に弾かれたように振り向く姿に小さく苦笑する。
 三橋かぁ……。
 思わず漏れた水谷の呟きに、びくりと反応しつつも三橋の視線は机の上に吸い寄せられていた。
「う、あ…」
「ああ、ごめん。違うんだ。別に三橋が悪いとかそういうんじゃなくて……」
 焦ったように弁解する水谷と三橋を見比べながら、阿部が視線で状況説明を促しているのに気づいて、栄口がつい先刻口にした台詞を繰り返した。
「あ!」
 栄口の説明を聞いて三橋が弾かれたように口を開ける。
「どうした、」
 三橋?
「うぇ、い……」
「慌てなくていいから」
 三橋の扱いにもすっかり慣れた面々は、じっと黙って花井の言葉に頷いた。
 阿部だけは、三橋の言いたいことが分かっているようで、我関せずと言わんばかりにさっさとロッカーを開けて、スポーツバッグを引っ張り出す。部室同様、古惚けたロッカーがキィィと甲高い声で鳴く。
「い、今っ。追い越してきた」
「お待たせぇ」
 耳から入った三橋の言葉を大脳が受け取るより先に、その意味は明らかになった。



* * *



 オツカレー。
 お先。
 口々に声をかけて部室を出て行く部員たちに、おぅと声をかけてその背を見送る。
 普段より随分遅い時間まで残ってしまったが、志賀の差し入れのお陰で空腹はそれほど気にならなかった。
「戸締り宜しくね、花井」
「ああ」
「じゃ、また月曜日に」
 最後にひらひらと手を振って出て行った栄口を顔を上げて見送ると、部室に残っているのは、花井と田島の二人だけになった。
 先刻までの騒々しさが嘘のように静かになった室内。
 いつもは一人で勝手に喋っている田島が今日は随分静かだった。それどころか、ほとんど声を聞いていないような気さえする。
 具合でも悪いのかと少し気になったが、練習中はそんな素振りはなかったし、自分が来るまでは煩いぐらいにその声が部室の外にまで伝わってきていたのを思い出して、花井は平気か、と思い直す。
 そして、不意に忘れていた苛立ちを思い出した。
「花井」
 眉間に寄った皺に気づいたのか、タイミングよく田島が名前を呼んだ。
「花井」
「……なんだよ」
 別に田島には何の非もないことだったが、返す口調が硬くなってしまうのは、どうしようもない。
 だが、田島は田島でそんな花井の胸中になど気がつくはずもなく、ちらちらと視線を彷徨わせながら、盗み見るように花井を伺っていた。
「今日の」
 いつも自信たっぷりの田島らしくない態度に、花井の気が削がれる。
やっぱり具合でも悪いのだろうか。
「たじ」
 ま……。
「昼休み」
 花井の声が聞こえていないわけではないのに、田島は綺麗に呼びかけを無視して、言葉を繋ぐ。
「告白されたって」
「え……!」
 じっ、と見つめられて、一気に頬が熱くなるのを花井は感じた。
「お、オマエ、なんで」
「本当なんだ」
 田島の強い瞳に曝されて、目を逸らすことができない。
「う、あ……」
 これじゃあ、まるで三橋みたいじゃないか。
 頭の一部に僅かに残った冷静な自分が、まるで他人事みたいに状況を分析していたが、口から出るのは、言葉にならない音ばかり。
「その子と付きあうの?」
「ばっ……」
 バカ野郎。
 一方的な田島の言葉に、花井の頬は恥ずかしさではなく怒りでさらに紅潮した。
「田島には関係ないだろっ」
「関係ある」
 むっとしたように語気強く言い返す田島に、花井の熱はさらに上昇する。
「関係ないっ」
「ある」
 これでは子どもの喧嘩と変わらない、と分かっているのに、一度発してしまった言葉は引っこめようもない。
「とにかく、田島には関係ないから」
 こんな状態じゃ部誌なんて書けるはずもない、と花井は睨みつける田島の視線を一方的に振り払って、立ち上がった。
「花井っ」
 咄嗟に伸ばされた腕が花井の手首を掴んで、身体ごと引き寄せる。
 自分よりも小さなくせに何処にこんな力があるんだ、といつも以上に腹立たしく思いながらも椅子が邪魔で反撃するタイミングを逃してしまい、不本意ながらもその腕の中に抱きしめられてしまう。
 ガタン、と花井の後ろで椅子が無雑作に倒れた。
「んっ……」
 噛みつくようなキスにびくりと背が強張る。窮屈な体勢のせいで、田島の身体を押し返そうにも力が入らない。せめてもの反抗で、逃げるように顔を背けるとそれ以上は追ってこなかった。
 ゼイゼイと荒い呼吸を繰り返す。
「花井」
「……」
 下から見上げてくる視線を見ないようにぎゅっと眼を瞑る。
「お前のせいだからな」
 田島から視線を逸らしたまま、花井は諦めたように呟いた。
「結構可愛い子だったのに」
 そう。今日、半日の苛立ちの理由は全て田島のせいだ。それなのにこんなことを口にしてやらないといけないなんて、随分理不尽だ。
 胸中で一通り文句を言ってから、意を決して瞼を押し上げた。
「好きな人いるんですかって聞かれた途端、お前のことが頭から離れなくなって…」
 花井の言葉を聞いていた田島の表情がみるみる輝いていく。
「とにかくっ! 別に告られただけで、それだけだからなっ」
「はーなーいー!」
 にししし、と見慣れた笑みを顔いっぱいに貼りつけて、田島は花井をもう一度抱き締めた。
 先刻よりも苦しくないように、でもしっかりと両腕で抱き締める。
「花井、大好き」
「はいはい」
 分かってる。
 なんで、こんな恥ずかしいことを言ってしまったのか、と今更思い返してみても後の祭で、どうせなら明日だったら、コイツの誕生日だからで済ませられたのに、と少しだけ後悔しつつも、自分を抱き締める田島の緩みきった幸せそうな表情に、まあ、いいか、と花井は笑みを零した。